センスは持って生まれてきた才能、なんて思われがちですが、
私の考えは少し違います。
センスは感受性。誰もが持っている感覚。
「私はこれがいい、これが好き」という区別基準のようなものだと思っています。
それが他の人のそれと合うか合わないかは全く別問題。
「私はセンスがないので・・・」と言ってしまうとき、
自分の選択が他の人と合っているかが不安だったりしませんか?
でも、他の誰かが関わらない時、自分の好きなものは迷うことなく選べたりする。
一人でも選べないのは、「どれも素敵!」「どれも美味しそう!」なんて全部が魅力的に思えるときか、
予算だったり機能だったりに制限があり、「妥協しなければ選択肢がないとき」くらいではないでしょうか。
他人の判断基準だったり、制限があったり、
自分の純粋な心の基準に迷いが出るから、
「センスがない」と言ってしまうのだと私は考えています。
何を隠そう、私自身が会社で「お前はセンスない」と言われ続けてきたひとり。
よし、これはお客様のご要望も叶えるいいプランができた!
と思って営業に持っていっても「だめ」。
リフレッシュできる空間を、と家具を選んでも「センスがない」。
そして、何がダメなのか、どうセンスがないのか
フィードバックがないので何をどうしたらいいのかが分からない。
大学を出て、働きながら写真や夜間でインテリアデザインの勉強をして。
設計したインテリア課題が「優秀作品」と評されたこともあるし、
何より会社の入社テストで図面も内装パースも描いて、内定をいただいた。
必死で勉強して、評価されてきた身としては正直に言ってこれ以上ない屈辱でした。
一方で、私から見て
「それはちょっと品位にかけるんじゃないかしら?」
「正直素敵とは思えない・・・」というようなデザインが採用されていく。
なるほど、
私の「いいと思う基準」、彼らの「いいと思う基準」にズレがあるんだな。
とそのときにハッと気づいたのです。
いまだに会社でも何かを選ばなければならない時、
「私は皆さんとセンスが合うかどうか・・・」と言ってしまうことがありますが、
それはこんな事情からなんだな、と書きながら改めて感じているところ。
自分のセンスを認めてもらいたい!と思うなら、
二つの方法がパッと思いつきます。
「センスの合う人達と仕事をする」か
「センスがいい、と言われるものを知り、真似ぶ(真似て学ぶ)ことで感覚を研ぎ澄ます」か。
前者はすなわち価値観が合うということ。もちろんこちらも大切ですが、
後者なら、自分の「いい!好き♡」の幅も広がりますし、より多くの人の心を掴む仕事に繋がる気がしませんか?
センスは磨けば光る宝石の原石のようなもの。
だったら、磨いた方がきっといい!
ご自身で納得できる仕事を思い切りしたいと思う方こそ、
センスを磨く、研ぎ澄ますことを続けて欲しいな、と思います。